アメリカン・トップ40の人気DJ、ケイシー・ケイサムが死去

コラム 高橋裕二の洋楽天国

現地時間の6月15日、カウントダウン番組「アメリカン・トップ40」の人気DJ、ケイシー・ケイサムがワシントン州ギグ・ハーバーの聖アンソニー病院で亡くなった。82歳だった。長い間パーキンソン病と闘っていた。アメリカのメディアが伝えている。

先月(5月)、3日間ほど行方不明になって、家族から捜索願が出され、その後ワシントン州キトサップ郡で発見された。遺産相続問題があり、アメリカでは大きなニュースになっていた。

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ヒット曲をカウントダウンで紹介する「アメリカン・トップ40」はケイシーケイサムのDJで一世を風靡した。
1932年、レバノン系の両親のもと、デトロイトで生まれた。1952年、アメリカ軍に入隊。韓国にある米軍放送AFNにアナウンサーとして配属される。除隊後はアメリカ各地のラジオ局でアナウンサーを勤め、1970年7月4日、「アメリカン・トップ40」がスタートする。音楽業界誌ビルボードによると、番組最初の1位はスリー・ドッグ・ナイトの「ママ・トールド・ミー(ノット・トゥ・カム)」だった。

ヒット曲を作るという意味でアメリカのレコード業界に大きな影響を与えた。ケイシー・ケイサムは番組制作のABCラジオと契約条件が折り合わず1988年8月6日で降板した。10年後の1998年、「アメリカン・トップ40」に復帰。2004年、ライアン・シークレストにバトンタッチするまでDJを努めた。ちなみに「アメリカン・トップ40」のランキング・ソースは最初が音楽業界誌ビルボード。その後ラジオ業界誌「ラジオ&レコーズ」(廃刊)を採用、最近はメディアベース社のエアプレイ・チャートを採用している。

ケイシーの死去で以前から揉めていた遺産問題が大きくなりそうだとメディアは伝えている。ケイシーには前妻との間に長女と次女と長男がいる。ケイシーの現妻との間には長女がいる。17ものバスルームがある豪邸を含む遺産は約80億円だと言う(1$100円換算)。

「アメリカン・トップ40」は日本ではラジオ関東(現ラジオ日本)が放送していた。DJは湯川れい子で、アナウンサーは局アナの坂井隆夫だった。ディレクターは岡田三郎(番組制作会社ヤング・スタッフ創立者)が務めた。当時番組の素材はテープじゃなく、30cmのLPで送られてきていた。日本の洋楽関係者は大変お世話になった。当ブログ筆者が担当したアルバート・ハモンドの「カリフォルニアの青い空」はこの番組から火が付いた。ディレクターの岡田三郎は2009年に急逝した。

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