米ポップ・デュオ「エヴァリー・ブラザーズ」の弟フィル・エヴァリーが死去

コラム 高橋裕二の洋楽天国

大瀧詠一氏が12月30日に死去。大瀧氏にとっては神様だった、アメリカのポップ・デュオ「エヴァリー・ブラザーズ」の弟フィル・エヴァリーが1月3日、ロサンゼルス・バーバンクの病院で亡くなった。74歳だった。

兄ドンと結成したエヴァリー・ブラザーズは1958年、デビュー・アルバム「エヴァリー・ブラザーズ」を発表する。アルバム中の「バイ・バイ・ラヴ」や「起きろよスージー」は前年(1957年)既にビルボード・シングル・チャートの2位と1位を獲得する大ヒットになっていた。

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続く「夢をみるだけ(All I Have to Do Is Dream)」や「キャシーズ・クラウン」も1位を獲得する。音楽業界誌ビルボードによると、エヴァリー・ブラザーズはシングルのTOP100に31曲、そのうち12曲は10位内にランクされた。イギリスでも同時期に大ヒットし、ビートルズをはじめ多くの若手ミュージシャンに大きな影響を与えた。またエヴァリー・ブラザーズの音楽性やハーモニーに影響を受けたサイモン&ガーファンクルは1970年の大ヒット・アルバム「明日に架ける橋」で「バイ・バイ・ラヴ」をライブでカバーし、これによって世界中の若い音楽ファンがエヴァリー・ブラザーズを知る事にもなった。エヴァリー・ブラザーズは1986年の第1回ロックの殿堂入りを果たす。

大瀧詠一さんや山下達郎さんもエヴァリー・ブラザーズの影響を受けた。二人はNHK-FMで「キャシーズ・クラウン」をデュエットしている。大瀧さんは元ニッポン放送社長の亀渕昭信さんが書いた著書「亀渕昭信のロックンロール伝」について、スタジオジブリの広報誌「熱風」で亀渕さんと対談した際、巻頭のエヴァリー・ブラザーズと亀渕さんのスリー・ショット写真に驚いている。ロサンゼルスのRCAレコード・スタジオで撮影されたもの。亀渕さんもエヴァリー・ブラザーズの大ファンだった。

昨年(2013年)11月、グリーン・デイのビリー・ジョー・アームストロングとノラ・ジョーンズが、エヴァリー・ブラザーズの1958年のアルバム「Songs For Our Daddy Taught Us」の楽曲を丸ごとカバーしたアルバム「フォーエヴァリー」を発売した。直近のアマゾン・チャート(2014年1月5日)でフィルの死もあり3位にランクされた。

今週は多くのミュージシャンのフィルへのRIP(安らかに眠れ)がツイッターで飛び交う事だろう。

<フィル・エヴァリーへの追悼>

「私の心はフィル・エヴァリーが亡くなった事で打ちひしがれている」 ブライアン・ウイルソン(ビーチ・ボーイズ)

「フィルが行ってしまった。エヴァリー・ブラザーズとのツアーは私の人生で最もスリリングな出来事だった」 ナンシー・シナトラ(フランク・シナトラの娘)

「会った事はない。でも会いたかった。彼らはいつも私のヒーローだから」 ブライアン・メイ(クイーン)

「エヴァリー・ブラザーズは私が聴いた最も美しいサウンド。彼らはロックンロール誕生の証人」 ポール・サイモン

「60年か61年に始めて彼らを観た。全てが魔法だった」 アンドリュー・ルーグ・オールダム(ローリング・ストーンズのプロデューサー)

「彼らのハーモニーは永遠に生き続ける」 ビリー・ジョー・アームストロング(グリーン・デイ)

「エヴァリー・ブラザーズはあらゆるジャンルのアーティストに大変大きな影響を与えた。フィルが歌う高いハーモニーは流れて、とても美しい」 ノラ・ジョーンズ

「フィル・エヴァリー。最良の友。君はすごく幸せな世界を作ってくれた」 デュアン・エディ(ギタリスト)

「エヴァリー・ブラザーズ。あなた方が私を音楽の世界に導いた。二人で出来る(素晴らしい)事。だから私はパートナーを探す事にした」 アート・ガーファンクル

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