第16回エドヴァルド・グリーグ国際ピアノコンクールにて優勝及び聴衆賞を受賞し、一躍世界的脚光を浴びたピアニスト髙木竜馬のデビューアルバムが、2024年4月24日(水)eplusmusicよりリリースされる。
『Metamorphose』(メタモルフォーゼ)と名付けられた今回のアルバムは、シューマンの《謝肉祭》を軸に組み立てられたプログラムであり、「変奏曲」がメインテーマ。その名のとおり、「移り変わってゆくもの」「変遷を辿るもの」に焦点を当て練られた渾身の一作だ。デビュー・アルバムへの想いを髙木に聞いた。
――髙木さんは、子どものころから演奏活動を行なっていますが、この『Metamorphose』がデビュー・アルバムになるそうですね。
僕としては、(アルバムにするなら)弾き込んだ曲でレコーディングに挑みたいという想いがありました。何回かリサイタルで弾いた後でしか見えない情景もあると思っているからです。ただ、自分の演奏会のサイクルと、レコーディングのタイミングがなかなか噛み合わず……お客さまからも、「髙木竜馬さんのCDはいつ出してくださるのですか」とのお声をたくさんいただいていました。でも、リリースするからにはそのクオリティはしっかりとしたものにしたいですし、考えあぐねて時間が経ってしまって……。
デビュー・アルバム『Metamorphose』は、僕にとって、これまでの30年間の節目になる集大成のアルバムであり、同時にこれからの長い音楽人生の始まりの一歩でもあります。
――レコーディングのいろんな条件を満たしたのが、シューマンの《謝肉祭》だったのですね。
そうですね。この2年ぐらいは、何回かロシアものを中心に据えたプログラムを弾いていましたが、その中で、ドイツ音楽をやりたいと思ったタイミングがあり、なかでも《謝肉祭》は自分の人生のさまざまな節目で勉強し、いろんな先生と一緒に深めてきた作品でもあり、1枚目のアルバムにふさわしい曲だと思いました。
――髙木さんのシューマンの演奏は、以前から好きです。
自分のアイデンティティについて考えたとき、ロシア人のエレーナ・アシュケナージ先生のもとで小さい頃から学び、イモラ音楽院でもボリス・ぺトルシャンスキー先生に師事し、ロシアへも演奏会やコンクールのために行っていましたので、ロシアは僕の音楽における一つの大きなアイデンティティです。
それから、10年以上住んでいたウィーンもアイデンティティの一つで、そこで師事したミヒャエル・クリスト先生はオーストリアとドイツにルーツをお持ちです。ドイツ語圏の音楽の感性は、自分の感性に近いものがあり、ドイツ音楽への思いや感情は自分のなかでしっかりとアイデンティティを保っています。ロシアとドイツ、その二つのアイデンティティに差はありません。
僕は、シューマンの音楽に強く親和性を感じます。《謝肉祭》は、彼の世界を顕著に表わしていると思います。映画を見ているようでもあり、文学を読んでいるようでもあり、絵本を読んでいるようでもあり、あたかも目の前に情景が広がっているような作品です。《謝肉祭》ほど彼の文学性と結びついている作品はないと思います。
――2月のリサイタルは、変奏曲を軸に「移り変わっていくもの」をテーマとしたプログラムでした。その時に演奏した曲の多くが、デビュー・アルバムに収められています。アルバムのタイトルも「メタモルフォーゼ」ですね。
変遷……移り変わっていくものは、人生と強く結びついているように感じます。
人生において、主題は自分。その主題は変わらないけれども、毎日は変化の連続です。だからこそ、これらの作品に強く惹かれました。
このアルバムのほぼすべての曲は、僕の最初の先生のエレーナ・アシュケナージ先生や中村紘子先生、クリスト先生、ぺトルシャンスキー先生にレッスンしていただいたり、その時々のコンクールや演奏会で演奏したりと、自分の人生をともに歩んできた作品なのです。
髙木竜馬デビューアルバム「Metamorphose」2024.4.24リリース
――《謝肉祭》を初めて弾いたのは14歳。その頃はあまりピンとこなかった、と以前おっしゃっていましたね。
当時はまだ小さかったので、派手な曲が好きでしたね。ラフマニノフやプロコフィエフのソナタやラヴェルの《夜のガスパール》、ストラヴィンスキーの《ペトルーシュカ》など、超絶技巧を駆使した作品を弾きたい時期でした。
《謝肉祭》には、シューマンの最もピュアな部分や彼のプライベートスペースで大切にしているものをそっと見せるような場面もあります。今は、そこにとても魅力を感じますが、14歳で理解するには難しかったですね。エレーナ先生は、僕がこの曲を勉強することで、シューマンの心の移ろいや次々と変わっていく場面などを通して、彼の音楽性を理解して欲しかったのだと思います。
――フロレスタンとオイゼビウスに見られるように、シューマンの輻輳する精神と言いますか、不安定に揺れ動く精神性も映し出された作品だと思います。
《謝肉祭》は、オペラになってもおかしくない作品だと思います。ヨハン・シュトラウス2世のオペラ『こうもり』のような世界観も少し感じられますし、そのようなストーリーを脚本家が書いたらオペラになっていてもおかしくないような、とても面白い世界観を持った曲だと思います。例えばリストのロ短調ソナタのように壮大な世界観から「まるでオペラのようだ」と形容される曲はあると思いますが、《謝肉祭》のように世界観そのものがオペラのように発展していく曲は、あまりないですよね。
曲ごとにそれぞれの登場人物が仮面をかぶって出てきて、シューマンはその情景をさまざまに描写していますけれど、その裏で何か物語が展開しているのではないかと、想像を掻き立てさせるような音楽です。
《謝肉祭》は、表面的には華やかで面白い曲だと思いますが、実はとても深い世界。「スフィンクス」における謎解きのようになっています。例えば、表情記号やモティーフを読み解いていくと、この曲にシューマンが託そうとした心の世界に近づくことができます。彼はそのような道標を残してくれています。だから、楽譜を読むのが本当に楽しい作品です。
浜離宮朝日ホールでのレコーディングの様子
――髙木さんのリサイタルのプログラムには、世界を旅するような壮大さが感じられます。
今回のアルバムも、それに基づいて構成しています。曲順や調性など、CDのプログラムの中でどのように起伏を作っていくか、そしてバランスも熟考しました。
アルバムの1曲目は、「鐘」です。この曲を弾きピアニストになることを決意したぐらい、僕にとっては大切な作品です。「鐘」は嬰ハ短調で終わり、変ニ長調の《パガニーニの主題による狂詩曲》の第18変奏へと続きます。
それから、チャイコフスキー《主題と変奏》作品19-6は、3曲のロシア作品を締めくくりにふさわしい音楽です。シンプルで美しい主題から、チャイコフスキーの天才的な手段によって、いろんな世界の旅が繰りひろげられていくような音楽です。その曲はヘ長調で終わり、グリーグの「夜想曲」はハ長調ですので、ドミナントのような関係になります。
「夜想曲」はハ長調で終わり、次がニ長調ですので1音(2度)上がって「トロルハウゲンの婚礼の日」で始まり、再び盛り上がりを迎えたところで、同主短調のニ短調のドビュッシーの「カノープ」という、まったく違う世界に向かいます。この曲と、《謝肉祭》とはエジプトの繋がりもあります。その平行調(ヘ長調)の「トロイメライ」でシューマンの世界に入り、さらに《謝肉祭》へ向かっていくのです。
――ラフマニノフの「鐘」は、エレーナ・アシュケナージ先生のもとで熱心に学んだ作品だそうですね。
この曲を弾いたのは、10歳の頃。初めて勉強したラフマニノフの作品だと思います。彼がスターダムを駆け上っていく第一歩になった作品でもありますので、この曲からデビュー・アルバムを始めたいと決めていました。
――エレーナ先生の「鐘」のレッスンでは、どんなアドヴァイスをいただいたのですか?
ルパートの方法、それからフォルテの出し方などを教わりました。最初の音から、そして後半でも和音をずっとフォルテシモで弾く場面がありますよね。この曲には祈りが込められています。暴力的で攻撃的な音ではなく、豊かなフォルテッシモを出すときの、腕の重みの伝え方や腰から重みを乗せる方法、あるいは肘の動きなどを教わりました。
――髙木さんはグリーグ国際コンクールで1位を受賞されました。このアルバムには、グリーグの作品も収録されています。グリーグとの出会いはどのようなものだったのでしょうか。
それこそ、グリーグの《謝肉祭》という曲でして、小学校6年生に日本チャイコフスキー・コンクールで演奏し、1位をいただきました。それから、14歳の時にグリーグの《ピアノ協奏曲》をホロヴィッツコンクールの本選で演奏しました。1位をいただいた後、『題名のない音楽会』や東京交響楽団の定期演奏会でも弾かせていただきました。14歳の頃にはよく弾いていました。
――グリーグの音楽に惹かれるところを教えてください。
リリシズムはグリーグの作品を透徹していますが、彼の音楽の根っこには、母国ノルウェーに対する思いがとても強くあります。実際にノルウェーを訪れてみて感じたのは、彼は母国を思い、その国土を音楽で豊かに表現していることです。例えば、北欧の神秘的な風景、立ち込める霧のような情感、澄み切った大地の温度、そしてフィヨルドなど大自然の雄大さも彼の音楽を通して伝わってきます。
――デビュー・アルバムは、4月24日にリリースされます。当日には、カワイ表参道パウゼでリリースのイベントを開催し、その後にはリサイタル・ツアーもありますね。
はい、完成したばかりのアルバムを携えて。プログラムもほぼ同じです。デビュー・アルバムを披露する喜びを、リアルタイムでお客さまと共有できること、そして、サイン会などで交流できるのも楽しみです。
演奏を通して、お客さまの日常に少しでも彩りを添えることができるならば、演奏家冥利に尽きると思っています。サイン会をさせていただくと、むしろ僕の方が元気をいただきます。お客さまに支えていただいていることを実感しますし、直接お礼を申し上げることができるのは本当に嬉しいことです。
当日にどんなことをするのかをこれから決めるところですけれど、リラックスできるような、ポップな会にしたいですね。
――読者のみなさまへメッセージをお願いします。
デビュー・アルバムということもあり、並々ならぬ思いでレコーディングに臨みました。でも、僕の思いと同じぐらいに、イープラス・ミュージックのみなさまが熱量を強く持ってくださいました。さらに、ピアノは河合楽器様よりシゲルカワイSK-EXを持ち込ませていただき、浜離宮朝日ホールで3日間のレコーディング……こんなに贅沢なことはありませんし、いつもお世話になっている調律の深田素弘さんとエンジニアの国崎裕さんという、盤石の布陣を用意してくださいました。
今の自分ができるベストを尽くし、いろんな思いの詰まった一枚になっています。何よりも、僕のアルバムを待ってくださっていたお客さまに、ようやくお届けできるのがとても嬉しいです。デビュー・アルバムという、一生に一度しかないその瞬間の喜びをみなさまと共有したいですし、その後の演奏会でも、お客さまと喜びを分かち合いたいと思います。そして、さらに歩みを進めていけるように頑張っていきます。
取材・文=道下京子 撮影=iwa