必死のパッチで20年目の『OTODAMA~音泉魂~』ーー「アホちゃうかと思われたい」けど「舐められたくない」ストロングスタイルで続けてきた唯一無二の野外音楽イベントに迫る

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清水音泉・番台(代表) 清水裕氏

清水音泉・番台(代表) 清水裕氏 撮影=河上良

 今年も5月4日(土祝)・5日(日祝)の2日間、『OTODAMA~音泉魂~』が大阪・泉大津フェニックスで開催される。関西の名物イベンターである清水音泉が2005年から開催している野外イベントであり、今年で20周年を迎える。その清水音泉の番台(代表)こと清水裕氏に、そもそも清水音泉とは何なのか、そして「野外フェス」ではなく「野外イベント」と謳う理由についてなどなど、『OTODAMA』を初めて知る人にもわかりやすく、取扱説明書となるように話してもらった。

エエ格好しない、悔しさ、怨念、笑い……数々と出てくるキラーワードからも清水音泉にしかない独特のこだわりを感じてもらえるはずだ。関西人特有のあえてネガティブな自虐をするアホバカスピリットは御愛嬌であり、根底に流れるのは闘魂でしかないストロングスタイル。これを読み込んで是非とも清水音泉の唯一無二な野外イベント『OTODAMA』に足を運んでいただきたい。

清水音泉・番台(代表) 清水裕氏、ライター鈴木淳史

清水音泉・番台(代表) 清水裕氏、ライター鈴木淳史

「エエ格好しい」ではなくて、「エエ感じ」の野外イベントに

ーー『OTODAMA~音泉魂~』は2005年が初回なので、20年目の20周年。清水音泉を立ち上げられたのが2004年なので、今年で丸20年になりますね。まずは清水音泉を立ち上げた当時のお話から聞かせて下さい。そもそもは、プロモーターのサウンドクリエーター内にある部署として立ち上げられたんですよね。

プロモーター会社は、色んなジャンルのアーティストと御一緒するんですけど、当時は30歳も越えた頃だったので自分が好きなロックバンドに絞って余生を過ごしたいなというところから始まって。で、屋号をつけるにあたり英語の名前は恥ずかしくて、当時の若手ふたりから出てきた候補が、清水温泉とか、清水漁業、清水エスパルス…etc。そしたら(同業プロモーター)プラムチャウダーの梅木さんから「温泉を『音の泉』にしたら?」と言われて清水音泉になりました。

ーー翌年2005年には『OTODAMA』を立ち上げられました。当時は90年代後半から始まったフェス黎明期。清水さんもフェスをやりたいという明確な気持ちは持たれていたんですか?

バンドを売るためにも1年に1回、象徴的なイベントをやりたいなとは思っていて。ただアカンタレなんで神戸ポートアイランドで開催した『ロック!ロック!こんにちは』(プラムチャウダー主催)や『RUSH BALL』(プロモーター・GREENS主催)と共催させて貰ったりしてましたが、2005年から神戸ポートアイランドを使えないことがわかったんです。なので、大阪行政の方に「全国でこれだけ野外イベントがあるのに、大阪には芝生に囲まれて音量規制が無い野外コンサート会場が無いんです」と持ちかけて誘致してもらったのが泉大津フェニックス。場所はちょっと遠いけどお願いした手前、逆にやらざるおえなくなって(笑)。

ーーこの20年、一貫して「フェス」とは言わず、「野外イベント」と言い切ってきたところも凄く好きなんです。

『FUJI ROCK FESTIVAL』や『RISING SUN ROCK FESTIVAL』とは規模が違い過ぎるのでフェスなんて言えないですよ。野外でロックバンドを大音量で聴きたいだけで、せいぜい「町の盆踊り規模」やのに「フェス」と言うのはイキってる感じがしてなんかね。でもあんまり格好悪いと出てくれるバンドに申し訳ないので「カッコ悪い」と「カッコ良い」のバランスはこれでもメッチャ気にしてます。あと大阪でやる上での地域性を考えたかった。例えば、沖縄や北海道は立地や元々ある自然を味方に地域性を出しやすいけど、こっちは自然が無い分どうやって特色を出していこうかと考えて、結果「笑い」に逃げていった感はあります。

刺激を受けたのは『フジロック』と、1971年に天王寺野音で始まった関西では一番最初のフェス『春一番』です。同じことは到底できないですけど。畏敬の念をその2つにもちつつ密かに指針にしています。特に『春一番』は大阪のイベントというのもあって、「エエ格好しい」ではなくて「エエ感じ」になっている。今の所謂フェスはみんな横文字やったけど「音泉魂」という漢字にしたのは『春一番』の影響と、A・猪木イズムで「魂」を入れたかった。

『春一番』の次は大阪の南港で開催された『SUPER JAM』とかラインナップなど掘ってみると面白くて。大阪の人は東京や全国に対してもカウンター的に独特の発信をしようとしていたので勝手に「そのバトンを引き継がねば!」と思い。そのイズムに従ってやっていると、結局は独自性が面白い方向にいってしまったという(笑)。

ーー2005年に、初年度を開催されてみての手応えはどうだったでしょうか?

やりたいことをやりきって後悔はなかったし、フルスイングができた気持ち良さはあったけど赤字が凄すぎて! 大人はフルスイングしちゃいけないし、フルスイングをしてしまうとバットもミットもユニフォームも売らなアカンくなるということを学びました(笑)。2006年は野球をキックベース規模に変えて服部緑地野外音楽堂で開催したけど、人間は何事も忘れるので2007年にはまた泉大津でやろうと戻ってくるという。

ーー清水さんが音量規制無しの場所を求め続けているお話をずっと聞いていたので、泉大津に戻られたのは素敵だなと思いました。

過去に規制があって音が満足に出せない野外会場で、自分が担当するバンドがライブをすることが何度もあって。その都度、バンドのためにはそういう場所で「二度とやらせられない」と思ったんです。音の問題で悔しい思いをした90年代のトラウマというか、野外で多くの人に観てもらえたとしても、満足に音が出せないことでそのバンドが「こんなもんか」と思われるのが悔しくて……その怨念だけで20年やってきたのかもしれない。

『OTODAMA’23~音泉魂~』

『OTODAMA’23~音泉魂~』

ーーフェスといえば、数多くのステージがあって時間も被る中、『OTODAMA』は基本2ステージで音が被らず観られるところも特徴のひとつだと感じています。ライブハウスが手がけるテントステージがあり、時間が被ることもありますが、ほとんどかぶらない。

2004年当時は、推したいバンドが20組いると全部イチ推しなので被りなく観て欲しくて2ステージ交互にやってました。今年は出で欲しいバンドが更にあふれて半分被ってしまってますけど…。場所柄、頑張って3つしかステージ組めないのですが、決して「バンド見本市」ではないので本当は被せたくないのと、一組でも多くラインナップしたいのと、毎年葛藤してます。​

ーー先程、関西の独自性は結局はお笑いだと言っていましたが、今やお馴染みのレイザーラモンRGさんが初出演されたのは2007年ですよね。今はフェスやイベントに芸人が出演することも普通になりましたが、当時は目新しかったイメージがあります。

RGさんがウチのスタッフの立命館大プロレスサークルの先輩という関係もあったのですが、要はお客さんを半笑いにさせたくて。やっぱり「こいつらアホちゃうか!」と思わせたい。でも、このあたり(2007年頃)から試行錯誤してドツボにはまって迷走していくことに……。まぁ、レイザーラモンさんが出るのを許容してくれる人しか出演してもらってませんけど(笑)。一方で、お客さんに敷居が高いと思われたくないのに「これを笑えない人は来んといて」とも思われてたところもあるかと後で気づいたり。シャッター全開にしてきたつもりが、シャッターが半分閉まっていたみたいな。何事も三回やらないとわからないので、4年目くらいから「こうやったらエエねんな」というのがわかってきたのかな。なので、誰をお呼びしても1万人のお客さんに来てもらえるようになったけど、でも2万人は集まらないから、やっぱりシャッターは全開じゃないのかもしれない。

『OTODAMA’22~音泉魂~“BACK TO THE OFURO”』 写真=清水音泉 提供

『OTODAMA’22~音泉魂~“BACK TO THE OFURO”』 写真=清水音泉 提供

ーーあくまで清水さんは会場をキツキツにしたくないから、あえて超満員にはされていないという思いもありますよね。

それは個人的にバスを長時間待ったり満員電車が嫌だから、そういったしんどさをなくしたくて。サービス業として(都心から)遠い上に長い待ち時間はお客さんに申し訳ないと思ってた。しかし若い子に聞くと「友達とバスを待ってる時間も楽しい」って声を聞いて驚いたり。正直、利益と心地よいバランスも難しいです。

ーーそれと特徴的だったのは、地元のライブハウスにテントステージを任せたりしていましたよね。

地域性を出すためには地場のライブハウスの皆さんに一緒に遊んで貰うのも良いかと。コロナ禍で、ライブハウスや小劇場が街の文化を作っているとも言われていたけど、正にその通りかと。でもメインステージのワイヤレスマイクと混線しかけたりして……そういうことやっちゃってるところが、やっぱり自分ら「フェス」とは言えない。最近はライブハウステントをやれてないですけど、余裕があればまたやりたいなと思ってます。

当日券の案内が書かれたアドバルーン

当日券の案内が書かれたアドバルーン

ーー2011年は台風で中止に。2012年は『OTODAMA'11-'12 音泉魂』と題して、中止となった2011年分も含める形で初の2日間開催。その後も2日間で開催されるようになりました。(2013年、16年、18年(※台風の影響で中止)は1日開催)

本当は1日だけの開催の方が、刹那な感じもしていいなと思っていて。それに、このイベントは必ず打ち上げをやっていたから、2日間も(打ち上げ)あると体力的に本当にしんどくて……帰って玄関で即寝する経験もした。それがペース配分がわかってきたり、あと続けていたら出てもらいたいバンドも多くなったこと。それから2日間開催すると採算性が良くなるということもあって2日間の開催にだんだんなってきました。

ーー採算性という意味では、2011年の台風の影響での中止は本当にショックでした。

最近は台風での中止もありうるけど、2000年代はまだそんなになくて……。2010年代になってからの温暖化、異常気象を感じるようになった。90年代は多少なら悪天候でもやってましたけど、今は安全面やコンプライアンス的な問題もあってね。それでも10年で2回も台風の中止に遭う!? 確率が高い……。2018年の台風での中止は今でこそ笑い話だけど、しばらくはネタにもできなかったしリアルなことはここでも言えない。こんだけ全国各地たくさんフェスやイベントがあるのに「なんでウチだけこんな目に遭うんやろ」と考えてもしょうがない思考になりかけたり。でも結果的に人生であれ以上ない経験をさせてもらい怖いものが無くなりました。

舐められたら負け。フルスイングできる、20周年。

ーーそんなこんな、いろいろなことがあったのに20周年でございます!

20年と言っても、3、4回サボってるし(コロナ禍での開催断念など含む)。でも、必死でやってると当事者は時間を感じないんじゃないかな。それと自分から20周年なんて言うのは憚られる。せめて「20年目やらせてもらいました」くらいな。唯一誇れるのは、初年度に出てくれた人たちが、ほぼ全員今現在も活動してくれていることくらい。主旨の一つは「バンドを売ること」と「長く続けてもらうこと」なんで。長く続いてることに少しでもこのイベントが役に立っているなら、そこは良かったと思います。もちろん頑張って続けてるのはバンドなんですけど。

ーー2022年からは夏から春に時期を変えて、泉大津での開催となりましたよね。

今や夏が暑すぎるのと、実際当日のお客さんと出演者に申し訳ない気持ちにもなるし、2018年に台風でひどい目に遭った時に「春に移しておけば良かった」と後悔したので。最後の夏開催となった2019年も9月なのに最高気温38℃の仕打ちにあい……心置きなく春にいけると思いました。

ーーそうやって時期が変わっても『OTODAMA』がずっと続いていることが嬉しいです。

今、メディアも(イベント)プロモーターも演者も一般の人までも、イベント・フェスをやれる時代になってきてます。バンドにとってはいろいろ出る機会があって選択肢があることは良いことだけど、生業にしている我々は今後どうするかは考えないといけない。やっぱり、より自分たちにしかできないことを考えて、負けないようにしないと淘汰される危機感もありましたが。もう、この年なると営利と好きなこととのバランスでなるようになるしかない

『OTODAMA’22~音泉魂~“BACK TO THE OFURO”』フォトブース

『OTODAMA’22~音泉魂~“BACK TO THE OFURO”』フォトブース

ーーそれとずっとスポンサーがいないと言い張っていた『OTODAMA』が、去年から読売テレビと一緒に開催していることも印象的でした。

一番は協賛対応できる甲斐性がなかっただけ。確かにお金をもらうと内容に口を出されることも多いから面倒で避けてきたのもあります。例えば、派手目なコスチュームのお姉さんが客席で何かを配っていると個人的には嬉しいけどイベントとしては磁場が歪むからNG……とか、そんなイベントに協賛はなかなか付かない。だけど読売テレビさんが付いてくれることで牛乳石鹸や大阪の企業のみなさんがこっちのマインドも理解してくれた上で協賛ついてくださったり。その上でお客さんも喜んでくれることができたのでありがたかったです。

ーー『OTODAMA』は何をしても魂を売った感じがしないんですよね。

やりたくないことやると健康に良くないし、やりたいことをやるために会社(清水音泉)を作ったので。普段接してるバンドに教えてもらったことで「(バンドは)舐められたら負け」と思ってライブやってる。末端の自分達もそこは意識して「舐められない」ようにしないと、その先にいるバンドが舐められる。まぁ、ある意味「舐められたイベント」ですけど(笑)。

『OTODAMA’23~音泉魂~』

『OTODAMA’23~音泉魂~』

ーーそれは舐められているんじゃなくて、大阪特有の笑いに溢れた親しみやすいイベントだということです!  今でこそバンドがフェスのテーマソングを作るのも一般的になりましたが、10年以上前に四星球が『OTODAMA』のテーマソング「オトダマーチ」を作ったり、そういう意味では演者との関係性も独特だと思うんです。

普段仕事で、ライブを観る以外に演者と過ごす時間は気を遣うけど一番おもしろい時間でもある。本人たちが何をやりたいかを聞いたり一緒に考えたりもできて。マネージメントが一番距離の近い家族だとしたら僕らは親戚のおっちゃんくらいの距離。ある種、無責任な距離だけど身内でいたい。やってるうちにその距離感が大事だと知った。最初はそんなつもりは無くてただバンドが死ぬ気でやっているんだから、こちらも死ぬ気でやらないといけない。そういう覚悟でやっていると「こいつらが仕切っているところは、これくらいのことをここまではやっていいんだな」とバンド側も思ってくれたのかもしれない。​

『OTODAMA’23~音泉魂~』

『OTODAMA’23~音泉魂~』

ーー今年のトリは初日が四星球で2日目がCorneliusと、『OTODAMA』でしか観れないブッキングだなと改めて思っています。

四星球は2017年にトリをやってもらった時に、「こんなのでトリを獲らせたと思うなよ!」と言われて(笑)。それもあったし、バンドとしてはフラワーカンパニーズに次ぐくらいに沢山出てくれているバンドなんで、うちらのこともよくわかってくれていますから。2日目のCorneliusは、小山田さんが僕と同世代で。キャリア的にもシンパシーを感じて、説得力のある方にお願いさせていただきました。奥田民生さんも同世代なんですけど、何回もトリを獲ってもらっているので。その後の湯上りアクトとして初日にキュウソネコカミ、2日目にフラカンがいてくれたらフルスイングができる。この振り幅だとアホちゃうかと思われるラインナップになったかと(笑)、舐められへんやろなと。そんな感じかな! 以上です!

取材・文=鈴木淳史 撮影=河上良 

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