第227回 有限会社ピザ・オブ・デス・マネージメント 代表 磯部友宏氏【前半】
今回の「Musicman’s RELAY」は、株式会社夢番地 取締役社長/「WILD BUNCH FEST.」プロデューサー 澤弘道さんのご紹介で、有限会社ピザ・オブ・デス・マネージメント 代表 磯部友宏さんが登場。
磯部さんは1976年東京都杉並区生まれ。駒澤大学卒業後の1999年、横山健(Hi-STANDARD/Ken Yokoyama)が主宰するPIZZA OF DEATHの創設期に参加し、物販担当からキャリアをスタート。ライブ制作、マネジメント業務へと活動の幅を広げ、2014年にはレーベル主催フェス「SATANIC CARNIVAL」を立ち上げた。
WANIMAのブレイクをマネジメントの最前線で支え、現在はサバシスターのマネジメントをはじめ、フェスプロデュースなど多岐にわたる業務を統括している。「横山健」というカリスマが築いたインディーズの精神を次世代へ継承すべく、PIZZA OF DEATHの未来を描き続ける磯部氏に話を聞いた。
(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也、Musicman編集長 榎本幹朗、副編集長 佐柄文哉)
WANIMAの音源だけでピンと来てくれた澤さん
──まず、ご紹介くださった澤さんとのご関係についてお聞かせください。
磯部:出会ったのは2004年から2006年ぐらいだったと思います。当時、僕はKen Yokoyamaとしてバンド活動をしていた横山健のライブ制作を担当していて、中国地方のイベントで一緒に仕事をしたのがきっかけですね。その頃、澤さんはすでにバリバリ働いていましたが、僕は物販からライブ制作担当に移ったばかりで、右も左もわからない状態でした。
──出会われてから、お仕事でご一緒する機会も多かったんですか?
磯部:そうですね。澤さんが「SETSTOCK」(「WILD BUNCH FEST.」の前身フェス)をプロデュースされていたので、そこにPIZZA OF DEATH所属のアーティストを呼んでもらったり、中国地方のイベンターとしてWANIMAを担当してもらったりと、一緒に仕事をする機会が多かったんです。
WANIMAに関しては今でもはっきり覚えています。最初に「うちで力を入れてやるバンドだから」という話をして、音源を聴かせたんですよ。そうしたらすごく早くピンと来てくれて、「いいですね」と言ってくれた。それが自信につながりましたね。
──音源だけでピンと来てくれたんですね。
磯部:音源だけです。「まずは担当する前にライブをちゃんと見に行きますよ」と言って、岡山の250人ぐらいのキャパの会場まで来てくれました。実際にライブを見て「やっぱりこのバンドいいよ」と言って一緒にやっていって、到達点が広島グリーンアリーナ公演でした。一緒にやってきたパートナー、という感じです。
当時、ブレイク前のWANIMAを澤さんはすぐに「WILD BUNCH FEST.」に出演させてくれました。早くからWANIMAの魅力を認識してくれた一人です。
──大学院では半導体の研究をされていて、普通だったらメーカーの研究者になるはずだったのに、音楽の道に来た方ですから。
磯部:音楽愛はすごく強いですし、緻密な方ですよね。
地元・杉並とダイスケ・ホンゴリアン
──ここからは磯部さんご自身のことをお伺いします。お生まれはどちらですか?
磯部:東京都杉並区です。
──横山さんと同じですね。
磯部:地元が近くて、同じ浜田山小学校に通っていました。中学校は違うんですけど。ただ、僕のほうが6歳ぐらい下なので、直接の先輩というよりは、地元の年の離れた先輩という感じですね。
──ご家庭で、今のお仕事につながるような環境はありましたか?
磯部:うちは祖母が医者で、父も医者なんですよ。
──そうなんですか。
磯部:祖母が東京女子医大の第一期生みたいな時代の人で。ただ僕と兄貴はお勉強が苦手でした。
──お医者さんを目指しなさいとは言われなかったんですか?
磯部:言われなかったですね。今でも強烈に覚えているのが、小学校のときに親父が算数を教えようとして、僕がとんでもない回答をした時に「ダメだこりゃ」って(笑)。「この子に無理に勉強をやらせるのは良くない」と思ったんでしょうね。「好きにしろ」と。
──引き際がいいですね。
磯部:ジャッジが早いんです。小学校の頃に「なんでこうなるんだ」と言いながら見切りをつけられました。
──学生時代はどんなお子さんでしたか?
磯部:部活はサッカーをやっていましたが、やんちゃな子たちが集まっている部活だったので、何の結果も出せませんでした。兄貴の影響もあって音楽が好きになり、友達とバンドを組んだり、ライブにもよく行きました。
隣の中学の友達がやっているバンドのライブに顔を出したり。その頃からPIZZA OF DEATHのロゴを作ったダイスケ・ホンゴリアンとも仲良くなりました。
──ホンゴリアンさんがキーパーソンですね。
磯部:ホンゴリアンと横山が同じバイト先で、僕も後からそこに合流しました。本当に地元の先輩として横山と出会ったんです。Hi-STANDARDついては「地元にすごい人がいる」という認識でした。それが巡り巡って、今こうやって一緒に仕事をしている。狭い地元でつながっています。
横山は地元の後輩と面白いことをやっている感覚で「お前絵描けるんだろ、描けよ」と言ってPIZZA OF DEATHのロゴを作ってしまうような人でした。
──横山さんの最初の印象はどうでしたか?
磯部:兄貴肌の人ですね。いろんなタイプの後輩がたくさんいて。僕が遊び始めた頃にはすでにHi-STANDARDは売れていましたけど、「面白いやつだな」という感じで可愛がってくれました。今の自分があるのは横山に拾ってもらったのが、とにかく大きいです。
吹き溜まりのバンドサークルからPIZZA OF DEATHへ
──大学へ進学されたんですか?
磯部:駒澤大学に行きました。バンドサークルに入ったんですけど、そこが留年で大学7年生が3人いたりするような吹き溜まりのサークルで。大学時代は談話室っていう溜まり場で過ごしていた記憶しかないです。
ただ、その頃の友達は今でもいろんなところで仕事につながっています。IT会社を経営している友達とは、Linercraft(ライナークラフト)というテック系の会社をPIZZA OF DEATHと一緒に立ち上げました。アクセサリーブランドをやっている友達とはコラボアイテムを作ったり、就職活動もままならない人間ばかりだったのに、意外とちゃんとやっていますね。
大学時代は横山ともプライベートで遊んでいて、横山、ホンゴリアンと3人で横浜に一緒にライブを見に行ったり、特にホンゴリアンがPIZZA OF DEATH RECORDSのロゴのデザイン案を横山に見せに行く時に、一緒についていったことは今でも鮮明に覚えています。
──磯部さんご自身は就職活動をされましたか?
磯部:一切していないです。バンドをやりたいな、音楽の道に進みたいな、という気持ちも少なからずあったので。それに、吹き溜まりにいたのに就活だってなって急に探りをつけて走り出すのが、妙に「負けだ」って思ってしまったんです。今考えると恐ろしいことですけど(笑)。
卒業を迎える頃に、そんな僕の状況をホンゴリアンが見かねて動いてくれたんです。ちょうど横山がPIZZA OF DEATHを法人化するタイミングで、「磯ちゃん暇してるっぽいですよ」って横山に言ってくれて。それで連絡が来ました。
──PIZZA OF DEATHには迷いなく入られましたか?
磯部:横山はすごく紳士的で、「磯が音楽やりたいって聞いてけど、手伝ってくれない?」と言ってくれたんです。PIZZA OF DEATHとHi-STANDARDのもとで働けるなんて光栄なことですから、もちろん働かせてくださいと、アルバイトとして入社しました。実際に入ってみると、本気でバンドをやっている人と自分との間にものすごい乖離を感じたんです。音楽をやりたいなんておこがましいな、と思ってしまって。
──一番大きな違いは何でしたか?
磯部:そういう人たちって音楽だったり、楽器だったり、曲を作ることが本当に好きで、そこに人生の全てを懸けている。バンドをすることに対してとんでもない情熱を持っているんです。自分がなんとなく好きで趣味程度にバンドをやっているのとは、根本的に違うんだなと思い知りました。それで就職して、スタッフとして生きる道を選びました。
──初めてそういう人たちと接して、不安はなかったですか?
磯部:不安というより、カルチャーショックのほうが大きかったですね。ライブの打ち上げがもう常軌を逸していたんです。しょっちゅうぶっ倒れていました。最初はすごいところに来てしまったなと思いました。
社員3人のレーベル、そしてHi-STANDARD活動休止
──仕事の内容を教えてください。
磯部:最初は物販の担当でした。PIZZA OF DEATHやHi-STANDARDのグッズ周りですね。ホンゴリアンがデザインをやっていたので、物販担当の時は一緒に仕事をすることが多かったです。ジャケットのデザインの入稿データを取りまとめるのもやっていましたね。役割分担も曖昧な時代で、なんとなくデザイン周りは僕、という感じでした。
──当時、スタッフは何人いらしたんですか?
磯部:日常の実務をやっていた社員は3人です。取締役としてHi-STANDARDのメンバー3人がいました。まだ法人化されたばかりで、まずはHi-STANDARDをリリースするレーベルであり、事務所機能もある、いわゆるインディーレーベルですね。
Hi-STANDARDの3人が会社を作って、そこにアルバイトで入って、そのまま社員になるという流れでした。PIZZA OF DEATHが最初に手がけたのが「MAKING THE ROAD」。その後に「LOVE IS A BATTLEFIELD」とHi-STANDARDの作品をリリースして、その後はMOGA THE ¥5(モガ・ザ・ファイヴ・エン)など、いろんなバンドをリリースするようになっていきました。
──でも、Hi-STANDARDが活動休止に。
磯部:「MAKING THE ROAD」のツアーを終えて「AIR JAM 2000」を開催した後、2000年にHi-STANDARDが活動を休止しました。
その後は、所属バンドのツアーやKen Yokoyamaのライブ制作を担当するようになって、武道館公演やアリーナ公演を手がけことで、少しずつスキルが身についていきました。
ニッチだからこそ成立したSATANIC CARNIVAL
──いわゆるマネジメントを始めて、最終的にはフェスまでやるという流れに至るわけですが。
磯部:実はマネジメントよりも、フェスの立ち上げが先なんです。CDが売れなくなっていく中で、バンドも自分でネットに音源を載せて発信できるようになっていた。そうなると、レーベルの発信力も必要だという思いがあって。当時のPIZZA OF DEATHには大きな発信イベントを持っていなかった。
今後アーティストにとって魅力のあるレーベルであるためには、総合的に発信力のあるものでなければいけない。そういうチャンネルをしっかり持っておかないとダメだなと思ったんですね。それで横山に「フェスを立ち上げたい」と話をして、「いいよ、やりなよ」と言ってもらって。2009年ぐらいから企画して、2011年に立ち上げようと思っていたら、震災が起きてしまった。そこから一回止まって、2013年にもう一回立ち上げ直して、2014年に初開催しました。
──フェスを立ち上げるのは、簡単ではないですよね。
磯部:ジャンルを絞って特化させたからできた部分はありました。このシーンの発信力と居場所を作ることをテーマに据えて、ニッチだったからこそ成立したんですね。あとは関東でやるということも大きかった。当時はHi-STANDARDが本格的に動いていなかったので、10-FEET、マキシマム ザ ホルモン、Ken Yokoyamaを主軸にして、その下の世代のSiM、HEY-SMITH。この5バンドを柱にして、若いバンドにフォーカスするという考え方で。今のシーンのバンドが集まったらどれくらいのことができるかというトライでした。結果は大成功と呼べるものでした。
──最初からそこまでの確信は持てなかった?
磯部:持てなかったです。でも、ニッチだけど確実に需要があったんだなと。そこでいろんなバンドも自信がついて、SiMが自分のフェスを始めたり、「VIVA LA ROCK」がそういうバンドを固め打ちする日を作ったりと、いろんな相乗効果もありました。サタニックがきっかけで売れたバンドもいるし、他のフェスにも呼ばれるようになったバンドも結構います。やってよかったなと思いますね。このシーンのシンボルの一つになれたのかな、と。
──「SATANIC CARNIVAL」という名前の由来は?

磯部:横山が名付け親です。ミーティングで「フェスをやりたい、名前どうするの?」と聞かれて、僕がこじゃれた名前を考えていたら「ダセえな、サタンがいいよサタン」って(笑)。「じゃあせめてサタニックにしていいですか」と。サタニック・サーファーズというスウェーデンのバンドがいたので耳馴染みがあったんです。
──フェスを持っていることは、アーティストに対する求心力になりますよね。
磯部:それはあると思います。出会いのきっかけにもなりますし、レーベルでCDを出すだけじゃなくて「このイベントにも出られる」というオプションがあったら魅力的じゃないですか。かつ、そのイベント自体がレーベル同様、シーンを発信する中心的存在であれば、なおのこと相乗効果がある。「これをやっているPIZZA OF DEATHはやっぱり魅力的だよね」という関係が生まれます。もともと、ロッキング・オン・ジャパンやMUSICAのような媒体がフェスをやり始めていた流れがあって、PIZZA OF DEATHとしては逆にイベントで媒体力をつけようとした形ですね。
──澤さんの夢番地もイベンターという立場ですが、フェスを立ち上げて発信の場をつくってこられましたよね。
磯部:そうですね。メジャーレーベルもそうですけど、音楽ビジネスを取り巻く環境の変化にどう対応していくかという話で。結局アーティストと関わる上でやることはそんなに変わらない。あとは自分たちの強みを活かしてどう展開するのか、という感じなのかなと。だから、どこもレーベルもマネジメントをやって、セルフで制作やマーチャンダイジングをやってと、やれること全部やる時代になっていますよね。
後半は7月6日(月)公開予定!
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「Musicman大学」は世界の音楽業界の最新トピックスを解説。講師は『音楽が未来を連れてくる』の著者、Musicman編集長・榎本幹朗。「Talk&Songs」は月間500組ものアーティストニュースを担当するKentaが選ぶ、今聴くべき楽曲と業界人必聴のバズった曲を解説。
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