連続企画『アニメソングの可能性』第二回 DJ和の視点から見た ”J-POP / アニメソング” 両音楽ジャンルの接点

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“アニメソング”とは果たして何なのだろうか?

一つの音楽ジャンルを指し示しているように感じさせるが、しかしそこに音楽的な規則性はない。それでも多くの人の頭の中には“アニメソング”と言われて思い浮かべる楽曲の形がぼんやりとあるだろう。この“アニメソング”という音楽ジャンルの形を探るための連載インタビューがこの『アニメソングの可能性』だ。

話を伺うのは、アニメソングを日々チェックし、時にそれをDJとしてプレイするアニメソングDJの面々。多くのアニメソングを日々観測し続ける彼らが感じる“アニメソング”の形とはどんなものなのかを訊き、アニメソングというものを紐解いていこうと思う。

そんな連載企画の第二回に登場していただいたのは、J-POP、アニメソングのMIX CDをこれまでにも多数リリースしているDJ和。幼少期からアニメを見て育った少年時代から、ヒップホップDJとしてDJデビューを果たし、現在に至るまでの道筋を伺った。そこにはJ-POP、アニメソング両楽曲をDJとして使ってきたDJ和ならではの、両音楽ジャンルの接点に対する視点があった。そして、本インタビューはDJ和が考える、未来のDJカルチャーのあり方にまで至る。DJとして活動する人、全てに届いてほしいインタビュー、是非とも読んでもらいたい。


■雑多なジャンルの音楽を”アニメソング”としてまとめるアニメの力

――まずはDJ和さんのアニメの原風景、最も古いアニメの記憶からお伺いしたいのですが。

思い出せる一番古い記憶だと幼稚園生ぐらいですね。当時放映していた『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』や『魔神英雄伝ワタル』シリーズといった、少年が戦いを経て成長していくアニメを見ていたのを覚えています。当時はアニメが好きで追っていたというよりも、生活の中でやっていたから自然に見ていたという感覚でしたね。

――なるほど。当時見ていたアニメの主題歌は記憶していますか?

特に『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』のオープニング「勇者よいそげ!!」はすごく印象が強いです。ファンファーレから曲が始まるところとか、Bメロで一度音が抜ける感じとか。当時見ていたアニメの主題歌を聴き返すと自然と子供時代の記憶も蘇ります。実家のテレビ前の風景が一枚絵で頭に浮かぶんですよ。

――楽曲が記憶の箱を開く鍵になっているんですね。

そういう感じですね。あとよく覚えている曲は『まじかる☆タルるートくん』のオープニング「オレ タルるート」。あれは衝撃的でしたね。浮遊感のある、すごくクセになる曲。いまだにあの曲、なんてジャンルの音楽なのかがわからなくて(笑)。

――確かに、あの曲のジャンル分けはかなり難しそうですね。

いろんなジャンルの音楽が複合されてできているんでしょうけどね。独特の歌詞に独特のオケ、おそらくアニメの主題歌じゃなかったら生まれてこない楽曲だと思うんです。

――同時期にはJ-POPのアニメタイアップも多く生み出される頃ですが、並行してアニメソングならではの曲も生まれていた時代でしたね。

ちょうどWANDSやZARDがアニメの主題歌を担当し始めたぐらいの年代ですからね。J-POPがアニメにタイアップとして使われた楽曲と、アニメソングならではの空気感を持つ楽曲、その両方が横並びで存在していたのが僕の子供時代、80年代末から90年代初頭だった気がします。

――その曲たちを不自然なく一つにまとめている”アニメソング”というくくりって、改めて考えるとすごいですね。

アニメ作品の力と、曲に合わせて流れる映像の力を大きく感じます。あれだけ雑多なジャンルの音楽を一つのジャンルとしてスッと聴けるようにしている。曲単体ではできないことだと思いますね。

■DJ機材の技術革新が邦楽DJとしての道を拓いた

――そんな幼少期を経て、DJを始められるわけですけど、どのようなきっかけからなのでしょうか?

僕が高校の時ってヒップホップブームがあって、姉の影響もあり僕もヒップホップを聴くようになっていたんです。そんな中で友達の家に遊びに行ったらDJ用のターンテーブルがあってレコードもたくさん持っていたんですよ。それを見たら僕もDJをやってみたくなって機材を買い揃えたのがきっかけですね。

――ヒップホップDJからDJをスタートしたということですね。

そうですね。その当時もアニメソング好きではあったのですが、DJで使おうという考えはなかった。DJでアニメソングをかけている人が周りにはいなかったので、そんなこと思いもつきもしなかったんですよ。加えて、クラブに設置されている機材も邦楽をかけられる用にはできていませんでしたね。

――設置されている機材が今とは違ったんですか?

当時のDJってレコードを使うのが当たり前だった。だからクラブにはターンテーブル(レコードプレイヤー)しかない場所が多かったんです。一方、当時の邦楽はリリースがCDだけ。結果的にレコードのリリースが盛んな洋楽でDJするのが当たり前だったんです。

――なるほど、そうなると邦楽を使ってDJができるようになったのは、CDを読み込めるDJ機材がクラブに設置されるようになってから、ということですね。

そうなんですよ。ただCDが使えるようになったらすぐにクラブで邦楽が流れるようになった、というわけでもないんです。

――聴く側の需要、というかクラブにくるような人たちの需要が、すぐに邦楽に移ったわけではない、ということですね。

そうなんです。僕がDJをしていた近辺では邦楽をかけるのはご法度、みたいな風潮がその後もしばらくはありました。それも当然なことなんですよ。クラブって当時は洋楽を聞くために行くところ、そこでいきなり邦楽流したら当然お客さんは喜ばないですよね。

――確かに言われてみれば容易に想像ができますね。クラブで邦楽が流れることが当たり前になっている今では想像のつかない話ではありますが……。

なので邦楽をかけるようになった最初の頃は洋楽流している間に一曲邦楽を流してすぐに戻すとか、みんなが酔っ払ってわけわからなくなっている時にこっそり邦楽を流すとか、そういうことをしていました。すると次第に「DJ和ってJ-POP流す人だよね!」という認知が広まってきて(笑)。

――クラブのお客さんの耳もJ-POPに慣れていったと。

耳が慣れるというよりも、お客さんに「DJ和だから仕方がないよね」って思ってもらう感じです(笑)。今にして思うと地道な戦いだったな、と思いますね。

■J-POPとアニメソング、ジャンルの壁が薄くなっていった2000年代後半

――それからDJ和さん自身、J-POPやアニメソングを使ったDJがメインになっていきますが、先ほどお話を訊いたように徐々に移行していたったのでしょうか?

日本語の曲だけを使ってDJをしていこうと決意したのが2006年ごろ。J-POP DJとして、その一環でアニメソングも織り交ぜたDJをしていました。そんな中、転換点となったのはNHKで放送していた『MUSIC JAPAN』という番組の公開収録でのDJだと思います。

――クラブでのDJではなく、テレビ番組の企画として行ったということですか?

そうなんです。2009年に「新世紀アニソンスペシャル」というスペシャル回があったんです。そこで客入れや転換のDJをしたのが初めてのアニメソングオンリーDJだったんじゃないかな? あれは本当に楽しかった。今まで使うことのできなかった曲もたくさんかけられましたからね。

――アニメソングオンリーDJではない、J-POP DJとしては使いづらいアニメソングも多かったということですね。

当時はアニメソングとJ-POPの間には大きな壁があった気がするんですよ。もちろんJ-POPのタイアップとして使われているアニメソングもあったけど、そうではない、アニメソングでしか成立しない曲も多かった。そういう曲は流石にJ-POP DJを聴きにきている人の前では流せなかったんですよね。

――そういった曲もアニメソングのみのDJだったら使えた、ということですね。

そうなんですよ。加えて、それを聴いたお客さんと”好き”も共有できた。あれはすごくいい経験でしたね。

――それはDJとして本当に嬉しい瞬間ですよね。当時使った曲で何か思い出に残っている曲はありますか?

2008年に放送された『マクロスF』の楽曲全般、あれは僕の中のアニメソングの価値観を大きく変える出会いだったと思います。アニメソングらしさのある魅力を持ちながらも、すごく多様な音楽ジャンルを内包している。アニメソングもここまできたか、と思って感動したのを覚えています。J-POP DJとしてもよく使わせてもらった曲ですね。

――『マクロスF』の楽曲はJ-POPのタイアップではありませんが、それでもJ-POP DJとしても使うことができた、と。

そうなんです。『マクロスF』の楽曲は生粋のアニメソングでありながら、同時にJ-POP好きの人たちにも通じる魅力を持ち合わせていた。そういう曲が2000年代後半に急激に増えた気がするんです。同時代だと『化物語』とかの楽曲もそうですよね。その頃にJ-POPとアニメソングの間の壁が一気に薄くなっていった気がしています。

 

■独自進化を続けるアニメソングDJカルチャーの魅力

――2000年代のお話を伺ってきましたが、その頃からアニメソングオンリーDJする機会が増えていったのでしょうか?

いえ、当時はまだアニメソングオンリーDJを主戦場としている方との接点もなくて、なかなかそういう機会は訪れませんでしたね。アニメソングオンリーDJをする機会が増えたのは2012年に『J-アニソン神曲祭り [DJ和 in No.1 胸熱 MIX]』をリリースしてから。

――CDがリリースされて、アニメソングでDJをしている人のもとに名前が知れ渡ったんですね。

そうかもしれません。それこそCDをリリースしてからmograさんでやっているアニソンインデックスにゲストで呼んでいただいたりしたんです。あれがCDのリリースと同年のことでしたね。それまでは全くmograさんとも縁がなかったですから。

――mograさんではじめてDJをした時の印象はいかがでしたか?

びっくりしました(笑)。アニメソングやJ-POPが流れるDJイベントは当時あちこちで見かけるようになっていたんですが、会場自体がそういったことに特化している場所はなかった。すごい所があるんだな、そう思いましたね。加えて、mograさんでアニメソングのDJをした時はアニソンクラブイベント独特のルールに驚かされたと言いますか……。

――独特のルール、とはどういったものだったのでしょうか?

アニメソングでDJをする時に、アニメの主題歌として使われない二番をかけちゃいけない、というルールがあるじゃないですか? あれに初めて出会ったのがmograさんに出演した時だったんですよ。あれを知った時は焦ったな……。「選曲が間に合わない!」って思って(笑)。

――確かにあれはアニメソングDJの世界にしかないルールですね。他の音楽ジャンルでは一番で曲を変える必然性はありませんから。

そういう意味ではアニメソングDJってすごく独自進化しているカルチャー、それが本当に素晴らしいと思うんですよ。自分達でルール作って、それをお客さんと共有して一緒に楽しんでいる。これってすごくクリエイティブなことだと思うんです。

――アニメソングDJということで、特殊なルールだったり、独自の文化ができあがっている。

僕なんかはDJでアニメソングを使いますけど、そのルールには割と則っていない。普通に二番までかけたりしますから。そういう意味で自分を”アニメソングDJ”だと言っていいのかは迷う時があります。

■DJが何をしている人なのか、それを多くの人に知ってもらいたい

――DJ和さん自身、今後のDJカルチャーがこうなってほしい、というものはありますか? 

まずはもっと多くの人に、DJって何をしているのかを知ってほしいと思います。僕は最近クラブ以外でDJをすることが多いのですが、そういう時には決まって「初めてDJを聴きました!」って誰かからは言われるんですよ。DJというものが日本入ってきてかなり年月が経っているはずなんですけど、まだまだDJを見たことがない人も多い……。

――思った以上に浸透していないと言いますか……。

DJを見たことはあっても、何やっているのか理解していない人はもっともっといますからね。ピアノニストやギタリストってほとんどの人が何をやっているか理解しているじゃないですか。それに対してDJはまだ全然理解されていない。やっと、DJって怖い人じゃないってことがみんなに伝わったかな、ぐらいの肌感覚ですからね。

――DJの面白さを伝えるための手段として、DJ和さんの中で思い浮かぶ方法はあるのでしょうか? 

クラブ以外の場所でDJをするということだと思います。クラブって行き慣れている僕らからすればすごく楽しい場所。でも、いまだに怖い場所だと思っている人は多いと思うんですよね。そういう人にもDJに触れてもらう機会は積極的に作るべきなんじゃないかな、と。例えば屋外だったり、カフェだったりバーだったり、そういうところにBGM係としてDJをする人が増えるともっとDJって身近なものになると思うんですよ。

――街中のいたる所にDJがいて、街ゆく人は簡単にDJに触れることができる。そういうイメージですね。

そうですね。そういうところでDJカルチャーに触れて、DJって面白そうじゃん、そう思ってくれる人が増えればDJカルチャー全体も盛り上がる。結果的にはそこからクラブに行く人も増えるんじゃないかな、僕はそう思っています。

――その結果、DJ和さんのようにプロとして活動しているDJの方も増えるかもしれませんね。

そうなると僕のライバルが増えることになっちゃいますけどね。でもその盛り上がりに乗じて僕の仕事も増えてくれるのかな? そうなってくれると嬉しいですね(笑)。

インタビュー・文=一野大悟 撮影=岩間辰徳


普段クラブに行くことに慣れている人にとって、今やクラブで邦楽を聴けるのは当たり前のことになっている。さらに言えば、今やクラブでアニメソングを聴けることすら驚くことですらない。しかし、その”当たり前”も誰かが少しづつ作り上げた先に出来上がったカルチャーの上に成り立っている。そんな先人たちが作り上げたものからカルチャーというものができあがってくる、ということを今回のインタビューでそれを大いに感じさせられた。

同時に、誰かの築いた”当たり前”を堪能する我々にも、自分たちのため、そして次なる世代に向けて”当たり前”を築く責務がある。果たして我々が築くべき”当たり前”はどんな形なのだろうか? もしかしたらそれは、DJに触れることが”当たり前”になっている社会の想像なのかもしれない。

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