おいしくるメロンパン
おいしくるメロンパン bouquet tour -Re:birth blue – 2026.3.28(sat)LINE CUBE SHIBUYA
10年の蓄積を一旦全部忘れて、何にも縛られずに自由に作ったーーナカシマ(Gt,Vo)がメジャーデビュー作『bouquet』について話してくれた言葉はそのままライブの全体像にも繋がっていた。というのも、時にその繊細さと獰猛さを併せ持つ楽曲をライブで具体化するとき、息もできないほど緊迫した瞬間にたびたび遭遇してきたが、この日はスキルで攻める(もちろん高いスキルがあるのだが)緊張感を感じなかったのだ。おいしくるメロンパンの独自性は保ちつつ、密室的な排他性がない。それが自ずとこの日のキャパシティを満たす説得力に繋がっていたように思える。
『bouquet』リリース後に開催した全国5ヶ所のZeppツアー『never ending blue』、同ツアーと選曲を変え、今年1月末からスタートした全国10ヶ所に渡るライブハウスツアー『Re:birth blue』。その追加公演がこの日のLINE CUBE SHIBUYA公演なのだが、メンバーは追加公演の意識はないとライブ中に話していた。確かにこの会場を特別視する場面はなく、あくまで『bouquet』を引っ提げたツアーの完結編という実感だったのだろう。とても彼ららしい。
彼ららしいと言えば、開演前からステージ上のブルーのライトがすでにおいしくるメロンパンを象徴している。上に吊るされた緞帳のドレープすら海っぽい。暗転の瞬間の歓声の大きさは過去最大だ。美しいギターのアルペジオのSEが流れ、ステージにメンバーが現れるとすかさずナカシマの軽快なリフ、峯岸翔雪(Ba)のフレーズが流れこみ「海馬の尻尾に小栴檀」でスタート。カントリータッチの軽やかさで「忘れようなにもかも愛し続けるために」と歌うこの曲で始まる意外性がしばらく持続した。1曲ごとに物語を刷新するように「マテリアル」ではサビに飛び込む前の“ワン・ツー!”の掛け声も上がり、初期の代表曲「色水」ではダイブしていくような感覚に。原駿太郎(Dr)のリムショットも交えた怒濤のスピード感のプレイがジェットコースターのような体感を加速する。モニターにグリーンの炭酸が投影された「クリームソーダ」は、歌詞の“窓際の席”と長方形のモニターがリンクするようでもあった。
ナカシマ(Vo/Gt)
最初のMCではホームの東京に帰って来れて嬉しいとナカシマ。この日、気温が上がり春らしさが増したことなどいつも通り緩い会話が交わされる。が、この日は演奏の緊張感とのギャップというより、演奏も伸びやかだ。序盤の軽やかなスピード感から大きな空間を作るストロークで「水仙」へ。おいしくるメロンパンには珍しいギターロックらしいギターソロにむしろ新鮮さを覚えていると、続いての曲が「十七回忌」で、今はもういない誰かとその誰かを思い出す季節の匂いが地続きで鳴っている。Aメロでのナカシマの語るようなトーンや峯岸の低音で動くフレージングが淡々と曲の情景を伝え、かつ、繊細なミラーボールの光がここにはもういない誰かをイメージさせて、この曲はライブで完成したんじゃないかと感じられた。
静かに聴き入っていたフロアの空気を変えるようにタイトなビートが切り込む「命日」。が、歌詞のテーマは時系列を戻りつつ繋がっている印象だ。後半、ナカシマと峯岸の速いフレーズの絡みが序盤とは違う色合いのテンションを作り出していた。ライブアレンジならではの体感を生んだのは「沈丁花」で、ディレイがかかったベースライン、インダストリアルな質感のドラムが冷たく硬質な冬を想起させて見事だ。さらにちょっとグランジな音像のギターが空間を刻む「空腹な動物のための」は、唾棄すべき対象を徹底的に叩きのめすような圧とブレイクに3人の気持ちが乗り、会場を貫くレーザーが感情とリンクする。怒濤のグランジ/オルタナセクションは『bouquet』の中でも際立ってラフなナンバー「誰もが密室にて息をする」に接続。ナカシマの書く歌詞は海や水に材をとったものが多いが、『bouquet』には狭い世界を表す“生簀”というワードが異なる曲に登場する。この曲では明快に“生簀の鯉”と歌われ、自分がいる世界の狭さを表現しているが、「空腹な動物のための」がある対象なら、「誰もが密室にて息をする」はタイトル通り、その息苦しさは誰もが、なのだ。この2曲が並んだのは曲調だけでなく意味のあるものに感じられた。
峯岸翔雪(Ba)
「最高!最高!」と素直に言葉が溢れている感じの原はここでオーディエンスが感じたことがこの外にも伝わって変わっていくかもという意味のことを話したが、教えめいた口調が嘘っぽくもあり、ナカシマと峯岸が原に取り合わないところも含めてシュール。つまりいつものおいしくるメロンパンだ。
それにしてもナカシマはあのストラト1本と必要最低限のエフェクターでどれだけ立ち上がる景色を変えられるんだろう?と思わせたのが、オーソドックスな「夕立と魚」だった。素の音のコードワークがこれほど懐かしくもひねくれた10代を思い出させるとは。リフやソロも効果的だが、多彩な曲の軸が彼のコードワークにあることに改めて気付かされる。そうした軸にあるこのバンドの強みは続く「水葬」でも再認識。スローテンポにアクセントをつけるリムショット、シンプルだが曲に寄り添うベースライン。曲が進行していくにつれて、ボサノヴァからラウンジのムード、そして静かだが緊張感のある会話が決壊するように、音の壁が重くのしかかってくる後半の流れは、歌詞にあるように、まさにプールの栓を抜いた渦に巻き込まれるようだった。そのまま同じく『hameln』収録の「dry flower」へ繋ぐ流れは彼らをずっと見続けているファンには格別なものがあっただろう。哀しみがメロディになったようなサビでのナカシマの表現力は他の曲とはいい意味で異質。一気に曲に没入させるアンサンブルは彼らの強みだが、この2曲は特にそれを実感したこの日の白眉だった。
日常に戻ってきたような「斜陽」では、原が上半身を左右に振るだけでフロアにワイパーが起こる。そして今の自由度とも、「斜陽」の放課後の教室とも繋がるように「未完成に瞬いて」がセットされたのもいい流れ。原の元にナカシマと峯岸が集まって、演奏が始まったのも温かいムードだった。
原駿太郎(Dr)
MCではまたまた原のシュールすぎるツアー体験記かつ成果めいたものが話され、ナカシマも峯岸も取り合わない通常運転なのだが、今回の『bouquet』リリース後の前後半16本のツアーの中で、以前はSoldoutしなかった沖縄が売り切れたり、自分たちを待っていてくれるリスナーが増えた実感はあった様子。それでも変わらず「自由気ままに音楽やってますんで、みんなも自由にいつでも来てください」というナカシマに、思いのこもった拍手が送られた。
最後のセクションはナカシマの放つフィードバックノイズでザ・オルタナの色を濃くした「千年鳥」、そして今のおいしくるメロンパンを代表する「群青逃避行」が歌始まりのイントロから、ファストなヴァースに突入していく。変な例えだが、爆速のサニーデイ・サービスみたいな印象を受けつつ、アンサンブルはポストロックに変化したり、元のボサノヴァに戻ってきたりする。そして同じリフで「群青逃避行」と時間を超えて対をなすような初期ナンバー「look at the sea」のイントロが鳴った時の歓声の大きさはこの日一番の大きさだった。ボッサテイストに乗る「あなたの髪を数えて」という歌詞のアンバランスはいつ聴いても狂気的だが、変わらないでいてほしいという祈りもあるこの曲がずっとセットリストに入りつつ、演奏の強度を上げている意味を感じてしまう。間奏以上の長さのインスト部分では峯岸と原のソロも挟みつつ、最後まで高い集中力で3人のアンサンブルを研ぎ澄ませ続けた。最後の一音が減衰すると、さっさとギターを置いてスタスタとステージを後にするナカシマ。この感じ、個人的には信頼を寄せてしまう。
おいしくるメロンパン
拍手のみで求められるアンコールも日本のロックバンドには珍しい光景だが、こんなところにも音楽で向き合うバンドとリスナーの関係が窺える。何も話さず、滑り出した演奏はそれが「蜂蜜」だとすぐ分かると意外性と待望のこもった歓声が上がる。穏やかだが前向きなニュアンスが抑えたプレイで伝わっていく。そのムードの中、ナカシマが曲作りは進行していて、近々には新たなお知らせができるかもしれないと言い、期待のこもった拍手の中、意外なことに早くも新曲を演奏すると話し、4月15日リリースの「ツツジの枯れる頃には」を初披露してくれた。ツツジが枯れる頃といえば最近はもうゴールデンウィーク前だったりするが、晩春のメランコリーとブラストビートにも似たアグレッシヴさとビッグバンドジャズが混在する曲の全貌を早く知りたいところだ。ラストはバンド最速ナンバー「シュガーサーフ」が、速さにファンクネスまで携えて爆走したのだった。
なお、7月には東阪で『Chronicle Tour 2026〜リフレイン・ブルー〜』の開催も決定している。
取材・文=石角友香 撮影=郡元菜摘

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