途切れた音楽の、大事なノウハウを伝えなければいけない 〜「音学校」校長/音楽プロデューサー 牧村憲一氏 × ミューズ音楽院 手島将彦氏 対談インタビュー

インタビュー スペシャルインタビュー

左から:手島将彦氏、牧村憲一氏

 これまでに竹内まりや、大貫妙子やフリッパーズ・ギターといったアーティストを輩出し、フリーランスプロデューサーの先駆けとして名高い牧村憲一氏が主宰する「音学校(おんがっこう)」が今年10月から東京・代々木のミューズ音楽院を会場にして開講される(第一期は10月11日開講)。
 牧村氏の50年にもわたる音楽プロデュースのノウハウを基軸にしながら、特任講師として数々のロック、ポップスに携わるプロデューサー/ミュージシャンのゴンドウトモヒコ氏を招き、受講生と音を作ることから届けることまでを通し、今のミュージシャンにとって必要なスキルを手にすることができるという「音楽制作実践ゼミ」、第一線で活躍するスタッフを招きながら、音楽を届けるために必要不可欠な知識を得ることができる「音楽制作基礎講座」の2つのコースが設けられ、受動的になりがちな従来の音楽セミナーとは一線を画し、音楽に関わるすべての人へ向けられた力強い試みとなっている。
 今回は牧村氏に加えて、音学校をサポートするミューズ音楽院の手島将彦氏にも同席していただき、音学校をスタートさせる経緯や概要だけでなく、そこへかける熱き想いをじっくりと伺った。

  1. 少しずつ音楽が変わるように、教えることも変わっていかないといけない
  2. 音楽の話をしてきた部屋には目に見えない音楽が張り付いてる
  3. 知った上でやらない。それがいちばんいい

 

少しずつ音楽が変わるように、教えることも変わっていかないといけない

——まずは牧村さんがこういった試みを始めることに驚いたのですが、どういったキッカケがあったんでしょうか?

牧村:まず、音学校へいたる前提からお話させていただきますが、最初はフリーの立場で、その後はレコード会社の人間として音楽制作の道をずっと歩んできました。それで、レコード会社を退職後、昭和音楽大学からお声がかかり、講座を持つようになったんです。1年目は1科目だったのが、翌年は2科目になり、翌々年は4科目になり、週のうち3日間も教壇に立つようになった。そんなことをやっていると、教えるということのたいへんさや重要さを思い知ってきたんですね。もちろん、ベーシックなスキルもあるけれど、少しずつ音楽が変わるように、教えることも変わっていかないといけない。

——単純に知っていることを教えるだけでは対応できないということですね。

牧村:ちょっとズルい方法としては、長年使用してきたノートを受講生に写しておけっていうのがあるんだろうけど、それでは「学校」として最低ですから。いろんな講座をしていくうちに、最後には教えている側の自分に勉強の浅さばっかりがわかってきて、その至らなさに心が悲鳴を上げる。そんなとき、今はSNSがありますから、TwitterやFacebookで「ここをもう少し突っ込んでやりたいけど知識量が足りなくて唸ってます」と正直に書くんですよ。そうしたら、「この本がオススメですよ!」みたいな返信が飛んでくる。そうやって、自分の足りないところを補ってくれる人がいたりして。結局、僕はたくさんの人に教えながら、たくさんの人から山のように学んでいったんですよね。そして、その学びをまた受講生に還元するんです。

——まさに「教えることは二度学ぶ」という。

牧村:時を同じくして、坂本龍一さんが『commmons:schola(コモンズ:スコラ)』という音楽百科全集を出し始めた。これは21世紀で初めての音楽百科全集なんですね。非常に興味深い、坂本龍一という人の脳を通って出てくる新しい音楽の解説。そのうち、NHK ETVで『スコラ 坂本龍一 音楽の学校』というテレビ番組シリーズも始まり、周りでざわめきが起こりました。テレビ番組の『スコラ』のファースト・シーズンが終わったときに、僕のスコラは何であるかと思った。学生を6年間も教えてきて、自分でも学んできて、このまま閉じていいのかと考えたんですよね。これが昨年までの話です。

——今年に入ってから、また何かキッカケが?

牧村憲一

牧村:実はゴンドウさんから「自分でレーベルを立ち上げるのでアドバイスを欲しい」という連絡をもらったんですよ。で、話を聞いてみたら、ゴンドウさんには失礼なんだけど、僕らが持ってる知識と剥離があるなと感じたんです。どういうことかと言うと、もっと若い頃のゴンドウさんたちが頑張ってるときは、CDがガンガン売れて、彼自身は売るということにはあんまり大きな苦労をしていない。もっと言えば、レコード会社等から個人のプロデューサーには「こんなのじゃダメですよ」っていうのがなくて、音楽業界の腕力で数字だけが伸びていってしまった。その前の人たち、言わば坂本龍一さん、細野晴臣さん、山下達郎さんや竹内まりやさんたちのデビューの時代は音楽そのものの力を産み出すことから凄く苦労してるんですよ。

——過ごしてきた状況がそんなにも違うんですか?

牧村:彼らは日本の音楽のいいことも悪いことも体験してるから、自分がプロデューサーみたいな立場になったときにどこに目や耳を向けることが大事なのかがわかってるけど、音楽業界不況と言われるようになって、ミュージシャンやプロデューサーからその感覚が途切れちゃってるんです。これはマズいと。敢えてゴンドウさんみたいな40代の人でさえもそうだと僕は言います。音楽的力量は凄く高いのに、彼らを慕ってる若い世代をレーベルのプロデューサーとして引っ張っていくノウハウがあるのかとなったとき、申し訳ないけれど「それは学んでない」と思ったんです。

——抜け落ちてしまったところを埋めたいと感じたと。

牧村:まさにそうで、途切れちゃった20年、あるいは20年前まで蓄積してきた大事なノウハウを伝えなきゃいけない。そう強く感じたんですよね。そして、もうひとつ重要だったことがありまして。そんな折、自分の教え子たちから、「こういうのを作ってるんですけど、どうでしょう?」とか「デモテープを聴いて何かアドバイスをください」みたいなメッセージがFacebookで飛んでくるようになって。みんな頑張ってて、自力や友達の助けで一歩目と二歩目まではいけるんですけど、三歩目は大人の知恵というか、プロの知恵が必要になってくるんです。で、最初は夜中でもせっせと返事を書いてたんですけど、体力が足りなくて(笑)。

——6年間も教壇に立ってたわけですから、教え子の数も相当でしょうし。

牧村:そういったこととゴンドウさんのレーベルの話が頭の中でバーンっとくっつきましたね。「教室と音楽レーベル」…二層構造を持つ学校という形態がいいんじゃないかと。その二層構造を説明すると、ひとつはこれから音楽業界を引っ張っていく人たちに来てもらって、僕らが持ってるノウハウを譲り渡していきたい。もうひとつは、第一線で活躍をしているゴンドウさんを慕ってくるような世代の人たちに対して、ゴンドウさんたちがこういう学校の場で教えていく。僕自身が“教えることによって、教えられた”ように、ゴンドウさんたちの世代も教えられる、伝えられるようになるだろうと。これが極めて重要じゃないかと考えたんですよ。

——現在、牧村さんと受講生の中心になる世代の中間、まさに音楽業界で活躍する40代の方が参加するのも重要なポイントなんですよね。

牧村:さっきの教え子の相談を受けるときも、僕の言うことは正しくもあり、正しくもなしでしょ?最終的に判断するのは自分自身です。だから、ちゃんとスキルの差は埋めた方がいい。年齢差の持つギャップというのは埋めようがないから、ちゃんと通訳になるスキルを持ったプロデューサーを入れることが必要なんですよね。

 

音楽の話をしてきた部屋には目に見えない音楽が張り付いてる

——実際に音学校設立に向けて動き出したのはいつぐらいだったんですか?

牧村:「やらなきゃならない」と僕が思うことと「やってほしい」と言ってくれる人たちの声が合致したのは今年の春ぐらいですかね。SNSで「こういうことを考えてる」と発信したら、いろんな人から「手伝いますよ!」っていう連絡がきて。正直に言ってね、無反応であってもしようがないことを言ったのに。ただ、いちばんの悩みが「学校の場所」だったんです。

——定期的に使用できて、ある程度の広さも必要でしょうし、通うことを考えたら交通の便も大事ですからね。

牧村:実際、お金さえ出せば借りられるんですよ。でも、構想段階だし、受講生はゼロですから(笑)。そうしたら、結果的には間に昔からの仲間が入ってくださって、「ミューズ音楽院の手島さんにお会いしたらどうか?」と。ただ、正直に言いますと、最初は無色透明でやりたかったんです。どうしても、音楽専門学校の教室をお借りすると、その学校の中だけの科目みたく見えちゃうんじゃないですか。ただね、実際に手島さんとお会いして、学校の教室を見てみたら5分もしないうちに「うん、ここでやろう」と思ったんですよ(笑)。

——その決め手はどういうことだったんでしょうか?

牧村:やっぱり、ずっと音楽を学ぼうとして、音楽の話をしてきた部屋には目に見えない音楽が張り付いてるんです。それは凄く重要なことです。教室から見えるの風景、教室の外から入って来る街の匂い、音楽を作る人たちが使ってきた机の在り様、教える側も教えられる側もこの学校の環境の中にいることが楽しくなれる。加えて、来る人も暇なわけじゃないから、代々木という、新宿・原宿・渋谷の近くの便利な駅から徒歩数分にミューズ音楽院があって、仮に雨が降っててもほとんど濡れないぐらい(笑)。それも重要でしたね。

——手島さんは牧村さんのこういった動きに関して、どういった印象を持たれましたか?

牧村憲一

手島:思い返せば、2000年になったぐらいのころって、メジャーはともかく、Hi-STANDARDをはじめとしたインディーズが盛り上がって。それが、今になって上手くいってた連中もみんな困ってますよね。考えてみれば、インディーズという立場でメジャーとほぼ同じことをやってたんですよ。だから、バブルが弾けたとき、方法論がわからない。メジャーの手法をアマチュアライクにやってた部分があるというか。しかも、上手くいってた当時は何かを教わることもなかっただろうし、そこには育成のノウハウも途切れちゃってる。これは自分に対しての反省でもあるんですけど。

——やはり、情報や知識の系譜が繋がってないという実感があるんですね。

手島:そのノウハウがまともに伝わってないから、知らないままにやってきた人は10年後とかに何をやっていいかもわからなくなる。そこは非常に問題であって。僕は今年で43歳なんですけど、そこを聞かねばならないし、単純に僕が教わりたい。そんなことを最初にお会いしたときに思いましたね。

——今回の音学校は既存の学校に対するアンチテーゼみたいな部分もあるんじゃないかと感じていたので、こうやって音楽専門学校と関わるのは意外でした。

牧村:現在の音楽業界の在り方へのアンチテーゼがないと言ったらウソになるけど、アンチテーゼを作り出すことが「音学校」じゃないんですよ。いちばん大事なのは、かつての音楽業界の良さは育成をいうことをしっかりやっていた。売れなかったらすぐ止めるみたいな刹那な方法じゃなくて、きっちりと時間をかけてたんです。それが、手島さんのお話にもあったように、2000年になったあたりから様相が一変しちゃって。時間をかけて音楽づくりをやってる人は業界を去らないといけない状況があって、1年や2年という短い期間で「無能」というレッテルを貼られてしまう。ミュージシャンもすぐに結果を要求されるから、よっぽど肝が座ってない限り、「短期決戦派」の言うことを聞いちゃう。いつしか自分の音楽を聴いてくれるリスナーが想像できなくなる。で、そういう場合、ほとんどがこれまでの成功例の模倣になるんです。

——ある種、オートマチックな流れが蔓延してますよね。

手島:僕がミュージシャンからプロダクション勤めになり、15年前に音楽専門学校というフィールドに入った理由もそういう部分があって。その当時、音楽業界全般に育成をしなくなってきた空気を感じたんです。だから、ちゃんと育成と向き合える場所に行きたかった。音楽専門学校というのは、ひとまずは音楽の売上と関係がないところで、そのミュージシャンを育てることができるんですよね。場合によっては、卒業して5年ぐらい後まで考えてやることもできるし。

牧村:実際にちゃんと伝わり易い言葉で教えるには、受講生の100倍以上の知恵が必要なわけです。それは音楽だけじゃなく、日本の教育のあり方にも繋がってるんです。だから、この音学校をやるのは、半分は「現在の教育の在り方への怒りのモード」なんです。「教育の場」って個人が歯を食いしばってやる話じゃないでしょ。本来は、こういうことにこそ、公的なお金が投入されるべきだろうし。ただ、そうは言っても、まずは始めなくちゃいけない。私的に立ち上げるのは本当にたいへんですけど。

手島:みんな、今の教育のあり方のままでいいと思ってる人はいないと思うんです。であれば、毎年バージョンアップしていかないといけない。それには、ある種の実験をしていかない限りは更新されないですよね。

 

知った上でやらない。それがいちばんいい

——そして、10月からは音学校が動き出しますが、具体的にはどういったことをやっていくんでしょうか?

牧村:そうですね。コースは「音楽制作実践ゼミ」と「音楽制作基礎講座」という2つがあります。「音楽制作実践ゼミ」も「音楽制作講座」も期間は半年。まず「ゼミ」は最初の3ヶ月で「自分はどんな音楽を作るのか?」ということを受講生同士で発表し合ってもらう。僕とゴンドウさんがチームを組んで、作り方や作っていく音楽に対して、プロの目や耳からアドバイスをし、喧々諤々とやっていきますね。その先がポイントなんですけど、その3ヶ月で辿り着いた音楽を社会に出します。つまり、教室の中で終わらせないんですよ。教室で受講生と僕らが共学する音楽が社会に届く。それが「教室と音楽レーベルの二層構造」という音学校の在り方です。

——出来上がって終わりではなく、その先の反応も講義に取り込むんですね。

牧村:予定では「音楽制作実践ゼミ」の前半の3ヶ月で楽曲の意味を最初のリスナーである他の受講生や僕らに説明できるか、できないまでも楽曲自体が伝えるべきことを伝えられているかどうかということをやろうと思ってます。そこで素晴らしいとなった作品をその音楽性を得意としてるレーベルやディレクターにお預けする。そこからはガラス張りですね。

 例えば、「ディーラーへ持っていったときに評判がよかった」みたいな話が戻ってくることもあるだろうし、「海外レーベルへデモテープとして送ったらこういう返事が来た」とかね。受け手の反応をリアルに受講生に伝える。そういった反応をどんどん「実践ゼミ」と「基礎講座」の中に取り組んでいくんです。それこそ、「素晴らしいけど、もっとクオリティの高いモノにして欲しい」という反応があったとして、僕らと受講生が一致すれば、後半の3ヶ月はその作業に費やす。もっというと、特任講師のゴンドウトモヒコと僕とで受講生が作っている音楽を持って一緒にスタジオへ入ることもありえる。受講生と僕たちが共同プロデュースするんです。

 他にも、作ることもできるけどホントは演奏や歌唱は苦手、プロデューサーやレーベルを運営してみたいという人が「実践ゼミ」実学の中にいれば、後半の3ヶ月は教室の中で作られている自分が凄く好きな作品に張り付いてもらってもいい。僕自身がそういうプロデューサーですから。

——それはかなり実験的な試みですね。

牧村:そうすると、6ヶ月で無事にセルフ・プロデュースへの旅が始まる人もいるし、準備だけで終わる人もいるし、旅のパートナーが見つかる人もいる。少なくとも、受講生全員の旅の支度はしっかりと出来るように僕らはやるつもりです。

——では、「音楽制作基礎講座」ではどういったことを学んでいくんですか?

牧村:音楽に関わる知識の構築ですね。「実践ゼミ」でも制作の実務的な流れ等について学ぶんですが、音を作ることが中心ですから、全部を掘り下げる時間が足りないんです。その為、「基礎講座」では音楽をやっていく上で絶対に押さえなきゃいけない部分を学んでいくんですよ。そこがわかってないと、自分が損をしたり、ビジネスを仕掛けたりできませんから。こちらは、僕も入って教えもしますけど、おそらく2回に1回はその道の専門家を招いていきますね。

——講義予定が出ていますが、どういった方がゲストとして予定されているんですか?

牧村:現時点で予定してるのが、日本のこれまでの20年間のパンク、ハードロックを確立したハウリング・ブル小杉茂さんに来てもらって「アーティストのマネージメントは何が重要であるか?」ということを話してもらったり、今やティーンネイジャーの支持を最も受けているKEYTALKをプロデュースしてる古閑祐くんに自らが主催するインディーズレーベルKOGA RECORDSについて語ってもらったりと考えています。この古閑くんを招くというのは、ポール・マッカートニーの学校であるLIPA(Liverpool Institute of Art)をヒントにしたんですよね。チラッと聞いただけなんですけど、講座の中で今まさに売れてるグループのマネージャーをゲストに呼んで講義をしてるそうです。しかも、KEYTALKは僕にとってはダブルミーニングで、メンバー4人のうち2人が昭和音楽大学の教え子なんですよ(笑)。

——これもまた、不思議な縁ですね。

牧村:古閑くんは90年代の日本のサイケデリック/シューゲイザーの筆頭格だったVENUS PETERのベーシストでもあり、僕が小山田圭吾くんたちとTrattoria Recordsをやっていたときの所属アーティストなんです。だから、さっき話したことが全部そこで立証できるという。僕、古閑くん、KEYTALKという世代が繋がるんですよね。そういう20年も続く文脈でやっていきたいという「学校」になってる。

——しかも、実際に現場で起こっている話が聞けるわけですし、貴重な体験になると思いますよ。

牧村:どっかの本を抜き書きして構成したモノではなくて、今まさにビジネスの最前線に立ってる人に最前線の話をしてもらう。そこには非常にリアリティがあるじゃないですか。他にも、スケジュールの都合上、まだ調整中ですが、津田大介さんもいる。今から音楽で活きていくための講座をやってもらおうと思ってますね。

——大きく分けるとするならば、「音楽制作実践ゼミ」はミュージシャン向け、「音楽制作基礎講座」は制作スタッフ向けになるんでしょうか?

牧村:そうではなくて、「ゼミ」の受講者は「講座」に無償で参加できるようになってるんです。つまり、音楽を制作することだけじゃなくて、そのさらに周りにあるビジネスの仕組みが本当はどうなっているのか?ということもきちんと学んでもらいたいんです。

——ミュージシャンによっては、音楽以外のことを排除したいタイプもいますよね。

牧村憲一

牧村:これからのミュージシャンにもプロデューサーにも音楽ビジネスも最低限の教養として身につけて、あなたの作り出す音楽がどういう人の手に渡るのか、どういう仕組みで売れてくのかも分析して欲しい。だから、「音楽制作実践ゼミ」と「音楽制作基礎講座」の境はどんどん無くしていきます。どちらかを学べば済むということはない。長く愛される音楽を作るならば、その音楽を長く愛してもらえる方法を知らなければなりません。その二つが断絶しないための「音学校」なのです。

——音学校として何か心がけていることがあれば教えてください。

手島:学校という場所は特にそうなんですが「誰に褒められたいか」を結構勘違いするんですよ。先生に褒められるのも悪くないけど、その先をわかって欲しいし、誰に向けて音楽をつくっているのか、設定を間違えちゃいかないっていうところが大切だと思います。

 少子高齢化に伴って、僕の世代以上は人口的に圧倒的多数派なんです。逆に言うと若者は最初から少数派になってしまった。だから、僕ら以上の世代は、ただ存在するだけで若者に対して強い圧力を、昔よりもかけていますし、若者は、単に最初から少数派であるが故に、世の中的に声が小さく聴こえてしまうことを、自分の方が間違っているのかもしれないと、自信を持てなくなってしまうこともあります。たぶん、そういうことに昔よりも意識的にならないといけなくて、僕らは彼らに「どこへ向かっていきたいのか?」を優しく言ってあげないといけない。

 今の若者はほっといたら自然と保守的になりますよ、最初から少数派だから。そういう意味で、少数派になってしまった彼らに対して、教育の現場では意識をあげていくというか、自分の表現したいことをちゃんと明確にさせてあげたいなと思いますね。

牧村:好きな音楽を自由に話すっていうことは全然怖くないし、まずはそこからだということをポンっとおいてあげたい。もちろん、僕らの概念の押し付けは凄くよくないから、そうじゃなくて、選択肢はたくさんあるんだということを丁寧に教えるのが「音学校」です。

牧村憲一「音学校」

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